『アウシュヴィッツのタトゥー係』

第2次大戦下、ヒトラー率いるナチス・ドイツユダヤ人に対しておこなったホロコーストは、今なお多くの物語で語り継がれ、今でも我々に悲しみ、恐怖、驚きを与えています。

 

本書は、絶滅収容所と呼ばれた収容所の中でも最大規模だったアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を舞台としたノンフィクション・ラブストーリーです。

ホロコーストについての本といえば、「アンネフランクの日記」や「夜と霧」など、有名なものが多くありますが、本書が他と違うのは、ハッピーエンドで終わりを迎えることです。

当然、多くの人間が死んでいくので、ハッピーエンドというのは語弊があると思われる方もいるかと思いますが、私は本書を読み終えた後、とても幸せな気持ちになりました。

ですので、ホロコーストについての本を読んだことがあるという方、または読んだことがないという方にも、ぜひとも読んでいただきたい本です。

 

本書のタイトルにあるタトゥー係というのは、強制収容所に連れてこられた同胞たちの腕に、囚人番号を刻む仕事を指します。囚人たちはそこで名前を奪われ、「4562」といった番号をその腕に刻まれます。腕の番号だけが彼ら彼女らの生きている証なのです。

タトゥー係として職務を果たさなければならないその相手は、これから青春を謳歌する若き女性であろうと関係ありません。タトゥー係は、一生消えることのない番号をその腕に刻まなければなりません。

 

本書の主人公はスロバキア出身のユダヤ人であるラリという青年です。

ラリは、ドイツ語、ロシア語、フランス語など多国語を操れる手腕を見込まれ、他の囚人たちよりも「特権階級」に属するタトゥー係を命ぜられました。

「特権階級」というのは、他の囚人たちよりも、多くの食事が与えられ、より安全な収容所へ移されることを意味します。

そんなタトゥー係として仕事をしている時に、出会ったのがギタという女性です。

信じがたいですが、ラリとギタはこの地獄のような絶滅収容所で、語り合い、触れ合い、そして愛し合うことになります。

 

本書の魅力はなんといっても、主人公ラリの人としての魅力でしょう。

 

本書の序盤、アウシュヴィッツに運ばれたラリはすぐに発疹チフスにかかり、高熱が出て倒れてしまうというシーンが登場します。こうなってしまっては、ここでは死を意味しますが、ラリはアウシュヴィッツに運ばれる途中で出会ったアーロンという若き男に自らの命と引き換えに救われます。ラリはそのことを後から聞かされます。

 

飢えかかった若者が自分の命を危険にさらしてまできみを救おうとするのをみてね。きみは救う価値のある人間なのだろうと思ったんだ。

 

「ひとりを救うことは、世界を救うこと」

この言葉は、本書でラリがよく使う言葉です。

こうした無慈悲な愛情をもらったことにより、ラリはこの強制収容所で、生きることをあきらめるのではなく、生き抜いてやろうと心に誓うのでした。

 

アウシュヴィッツには時には何千という人々が各地から運ばれてきます。ラリと運命的な出会いをするギタもその中の一人に過ぎませんでした。しかし、ラリがギタのその腕に囚人番号を刻んでいる最中、二人は一度だけ目が合い、それが恋の始まりとなったのです。

それからラリはどんな時でもギタを励ましその命を救うのでした。

 

ぼくらには明日がある。ここに着いた日の夜、ぼくは自分に誓ったんだ。この地獄を生き抜いてやるって。ぼくらは生き残って、自由な生活を手に入れて、好きなときにキスをして、好きなときに愛し合うんだ。

 

明日は我が身。5分後には死んでいてもおかしくないような場所で、他人を思いやるということ。自分の命をかけて、目の前の一人を救う。それが、囚人たちがこの地獄のような場所で学んだ鉄則なのかもしれません。

 

本書には後日談もあります。

あまりに多くの死を見てきたラリは、人の死を見ても決して涙を流すことはなかったそうです。

実の妹が死んだときも涙を流しませんでした。

ですが、そんなラリでもギタが死んだときは涙を流したようです。

 

長い沈黙を破り、自分の生涯について語ることを決意したのもギタの死があったから。

そんなラリはギタが死んだ3年後の2006年にこの世を去っています。

今頃二人は天国でもお互いの手を取り合って一緒にいることでしょう。

 

アウシュヴィッツのタトゥー係

アウシュヴィッツのタトゥー係