『カラスは飼えるか』カラスを飼うこと食べることについて本気で考えてみた。
鳥類本にハズレなし。
なぜかわからないが鳥類本には面白いものが多い。
鳥類は絶滅した恐竜の血を引いている生き物という点で非常に興味深いし、実に多様な生態やその特質は人類を長年の間魅了してきた生き物であると言えよう。
本書もタイトルを見て即手にとった本だった。
本書は私たちにとても身近で、かと言って愛されているわけでもないあの生き物についての飼い方が書かれた本なのだから面白くないはずがない。
だが、現実はそう甘くはなかった。
本書はカラスの飼い方が書かれた本ではない。
本書の冒頭はそうした断りから始まる。
本書のタイトルは『カラスは飼えるか』であるが、別にカラスの飼い方を述べた本ではない。これは最初に、前書きでお断りしておく。もしカラスの飼い方を知りたかったのであれば、ここで本を閉じて本棚に戻していただいて構わない。というか、そうすべきである。
では、なぜそのようなタイトルにしているのか。
これもすぐにネタばらしがされている。
理由は、本書の元となったウェブ上の連載「カラスの悪だくみ」で「カラスは飼えるか」という回がダントツで人気だったから、タイトルに採用したらしい。
カラスを飼うことを知りたいと本書を手にとった大半の読者は、こうして冒頭から読む意味を失ってしまったというわけだが、そもそもなぜ我々はそんなにカラスを飼うことが知りたいのか。
おそらく、カラスはみんなが知っているにも関わらず、飼っていいのか、どうやって飼うのか、飼っている人はいるのかについてほとんど知られていないからだろう。
本書には、そんな我々がよく知っている生き物たちのよく知らない話がユーモアたっぷりに書かれている。
著者はおそらく生真面目な性格なのだろう。
そんな著者の性格のせいか、笑いを強引に取りにいかないがきちんと読者を笑わせ楽しませるという、著者の文章の巧みさがより一層本書の面白さに花を添えている。
本書の内容は鳥類を主とする生き物についてだが、その話題は多岐にわたる。ただ、サルでもドードーでもニワトリでも、語っているうちになんとなくカラスの話にすり替わる傾向がある。
本書の前書きの言葉であるが、これが本当にそうであるから始末におえない。
本書のどの章においても、猿だろうが豚だろうがどんな生き物の話をしていても結局はカラスの話に変わって終わる。
文脈に不自然なところもなくすり替わっているものだから、私も何項か読んだ後にようやく気づいた。
「・・・あれなんか毎回カラスの話してない?(笑)」
紹介が遅れたが、著者はカラスの行動と進化を研究テーマとする歴とした研究者だ。
自身の研究テーマだから自然と語りたくなる心情でもあるのかもしれないが、著者のカラス愛には頭が上がらないものだ。
本書は何もふざけているばかりではないので安心してほしい。
本書にはきちんとした知的好奇心をそそる話も盛り沢山である。
例えば、「宗教的禁忌」と題した章では、イスラム教の豚肉を食べない習慣について述べている。
豚の生理機能は人間とよく似ており、豚の病原体や寄生虫は人間の体内で生きられるものが多い。
また、豚は人間と同じくらい、いやそれ以上に雑食性で何でも食べるため、人間とは餌が競合する。
世の中には豚トイレというものがあって、トイレの下で豚を飼って、人間の汚物を豚に食わせて見事な物質の循環を実現しているなんてところもあるらしいが、気味が悪い話である。
このように豚は貴重な食料や水をシェアしなければならない上、病気をうつされる原因にもなりうる面倒な代物ゆえ、社会によっては豚肉を禁忌としたのでは?といった理屈だ。
なんともなるほどな話である。
そして、本章においても後半に行くほどしっかりとカラスの話にすり替わっていく(例外はない)。
食べる話なのでカラスを食べる話なのでは?
そう思った方もいるかもしれないが、正解はぜひ本書を読んでみてほしい。
さてこの書評もそろそろ幕引きとしたところではあるが、締めの言葉が浮かばない。
ちなみに、カラスの飼い方など書いていないと冒頭で述べたが、実はきちんと書かれている。
と言っても、そもそも法律で禁止されているだとか、周りのモノをつついては破壊するだとか、与えられた餌を隠しては腐らせるだとか、とにかく著者は飼うことには反対のスタンスらしい。
それでも実際に飼っている人はいるようで、カラスを飼うのにマンションの一部屋をわざわざ借りたなんて話もあるらしい。
では、著者はどうであるかというと、飼いたくないし食べたくもないようだ。
かれこれ40年以上もカラスを追い続けてきた著者が言うのだからそうすることが得策なのだろう。