『両利きの組織をつくる』2兎を追って2頭を得る驚きの経営手法

成熟した日本企業が抱える経営課題とはなんであろうか。

それは、新興企業による破壊的なイノベーションによって目まぐるしく変化する経営環境に適応していくことである。

しかし、ほとんどの企業は既存事業を守ることに精一杯で新しい成長領域に挑戦すること自体ができていない。

これは皆さんにも心当たりがあるだろう。

「目の前のことに精一杯で、新しいことには手が出せない」というのは、大半の人間が抱える課題だ。

既存事業を先鋭化し、新しいビジネスにも勇敢に挑戦する。

そんな2兎を追って2頭とも得るような魔法の方法はないのだろうか。

 

本書は、タイトルにもなっている「両利きの経営」を提唱した世界的な経営学者と日本企業の組織力学を熟知した経営コンサルトによる共著という形で執筆されたものだ。

多くの日本企業が抱える経営課題について、日本を代表するグローバル企業であるAGC(旧旭硝子)の組織改革の事例を軸に一つの解決策を記している。

本書の素晴らしさは、「両利きの経営」という欧米発祥の経営手法を私たちに身近な日本企業の事例研究(ケース・スタディ)から体系的に学べる点だ。

海外の企業ではなくて、同じ日本企業から学ぶことで、業種は違えど抱える課題や経営環境に多くの共通点を持っているため、より多くのことを学ぶことができるだろう。

欧米のビジネススクールにおいて日本企業がケース・スタディの対象となることはごくわずかと言われているため、本書は非常に希少な存在と言える。

 

それではまず、本書が提唱する「両利きの経営」とはどのような経営手法なのか。

本書には以下のように書かれている。

 

組織が進化するためには、異なる二つの組織能力が必要とされる。ひとつは「(既存事業を)深掘りする能力」(exploit)であり、もうひとつは「(新規事業を)探索する能力」(explore)である。両利きの経営とは、企業が長期的な生き残りを賭けて、これら相矛盾する能力を同時に追求することのできる組織能力の獲得を目指すものだ。

 

「深掘り」と「探索」という相矛盾する能力を同時に追求することを目指す経営手法こそ、「両利きの経営」である。

重要なのは、この2つの能力の追求には互いに全く違う仕事のやり方が求められるという点だ。

これは単に事業ポートフォリオ経営資源配分といったこれまでの経営の理屈で考えるだけでは、到底実現できないのである。

多くの企業がこうしたことに気づかず、新しいことを始めるのに、古いやり方でやろうとして、失敗を犯している。

同じ組織の中で、異質なカルチャーを併存させるバランス感覚の獲得こそが、「両利きの経営」の真髄なのだ。

 

では、AGCの事例を見ていこう。

AGCの場合、既存のコア事業部(ビル・産業ガラス、オートモーティブ、化学品、電子の各カンパニー、セラミックスの子会社)とは別に、探索事業の技術本部(先端技術研究所、商品開発研究所、生産技術部、知財部)と事業開拓部(BDD:Business Development Division)が新たに組織された。

特に事業開拓部(BDD)の働きがユニークである。

事業開拓部(BDD)は、コア事業部が保有する資産と能力をフルに活用することが許され、新事業のネタを選別し、事業として開拓し、量産化に向けての卒業までを担うという重要な役割を演じる。

そして、新しく組織された技術本部と事業開拓部(BDD)は、経営チームに直接レポートする構造になっており、コア事業との無用な軋轢や利害対立を巧みに回避する構造となっている。

だが、もちろん体制を整えただけでは不十分である。

この相反する2つの事業部をうまく統合してレバレッジをかけていくところに、「両利きの経営」の凄さ、そしてAGCの経営陣の力量が伺える。

AGCは、こうした新体制のもと四期連続の減益という悪夢を抜け出したのだ。

 

AGCは始めから「両利きの経営」を睨んで組織改革を進めていたわけではない。

独自の試行錯誤を重ね辿り着いた経営スタイルが結果的に両利きの経営と呼ばれる経営理論に合致していた、というのが事実である。

こうした叩き上げの手法が、「両利きの経営」を提唱した本書の共著者でもあるオライリーの目に留まり、理論の生みの親から称賛されるという結果となったのだ。

そして、本書の第2章〜第4章まではこのオライリー自身が取材し作成したAGCのケースをベースに書かれており、より具体的な内容となっている。

組織改革というのは、当事者の痛みを伴い決して綺麗事だけで語られるものではない。

AGCも例外ではない。そのようなセンシティブな内容について公にするというAGCや著者らの試みを、知らないわけにはいかないだろう。

本書は、経営者だけではなく、ミドルや若手といった全ての企業人が読むべき良書である。