『ロシアン・ルーレットは逃がさない』
「他国の国民をその国内で殺せと命令できるのは、イギリスのことであればとくに、たったひとりしかいない。」リトビネンコは言った。‥‥「その人物は、ロシア連邦大統領ウラジミール・プーチンです」
2006年、ロンドンで悲劇的な事件が起こった。
それは、人類初、個人に向けられた核攻撃による殺人事件であった。
死亡したのは、元FSB(ロシア連邦保安庁)職員で、反プーチン体制派で内部告発者でもあるアレクサンドル・リトビネンコだ。
リトビネンコは、致死量の約20倍〜30倍の放射性ポロニウムを服用させられ、無惨な姿で死亡した。
多量の放射性物質を含んだ彼の死体を焼却した焼却炉は、その後、20年間は幽閉しなければならないほどだったという。
そして、冒頭で引用したリトビネンコの言葉からもわかるように、事件の加害者はロシアであり、プーチンその人なのである。
本書は、そんなプーチン政権による政敵の暗殺の全貌を暴いた渾身のルポルタージュである。
毒殺、撲殺、爆殺、自殺偽装まで、ありとあらゆる手段をつかって政敵を滅ぼす姿からは、ロシアを敵に回した人間はこの世のどこに逃げようと、必ず無惨な死を迎えると確信ができる。
本書には、ソ連崩壊後、一塊の市役所職員でしかなった無名の男が、どのようにしてクレムリンの頂点に立ち、その後、当時蜜月を共にした人たちを、いかにやりたい放題駆逐してきたかを描いた、ノンフィクションだ。
本書を読めば、ロシアという国、そしてプーチンという人間がどのような人間なのかがわかるだろう。
我々日本人が、北方領土問題で相手にしている国は、こんなにも恐ろしい国だったのだ。
もしそれが事実だとしたら、ロシアの新たな首相はギャングの親玉というだけでなく、選挙で勝つために300人近い国民を犠牲にした怪物ということになる。
ソ連崩壊後、KGB(ソ連国家保安委員会)を抜けたプーチンは、当時はまだ一塊の市役所の職員でしかなかった。
彼は、他の政府役人とは違い、汚職を最も嫌う潔癖な人間のように見えた。
しかし、それは表面の顔でしかなく、実際の彼は、KGBという保安機関で学んだありとあらゆる策略を駆使して、全体主義の治安国家ソビエト連邦を再建することに余念がない人間だった。
そして、彼にはロシアという国で権力を握るために、最も重要なことがわかっていた。
それは、「ロシア国民は権力者のまわりで団結する」ということだ。
プーチンは、上手く国家の敵を作ることで、ロシア国民に権力者としての自分をアピールすることに成功したのだ。
本書を読めば、2014年のクリミア併合といった武力侵略行為、そして、トランプ大統領を誕生させたアメリカ大統領選挙への不正介入まで、近年のロシアという国の行動哲学が読み取れるようになるだろう。
ボリスとバドリはエリツィンの「民営化」の競売で、真の価値の何万分の一という価格で驚くほどの数の国営企業を買収し、ほぼ即座に億万長者になった。
ソ連が崩壊し、急速な資本主義国家を目指した当時の大統領エリツィンは、私的なビジネスを禁じていたソ連が抱える四万五千もの国営企業を、真の価値の何万分の一という価格で投げ売りした。
その中には、巨大な石油、ガス、鉱物関係の企業があり、それらを底値で買い付けた一部の資産家たちは、1夜にして億万長者の仲間入りを果たしたという。
彼らが俗にいうオリガルヒ(新興財閥)と呼ばれる人々である。
本書には、彼らの常人離れした華麗な私生活と、死と隣り合わせの過酷な生活が暴かれている。
オリガルヒとしては、近年、イングランドのサッカークラブ「チェルシー」を買収したアブラモビッチ氏などが有名だろうか。
最後に、本書の著者であるハイディ・ブレイクを紹介して締めくくりとしよう。
著者のハイディ・ブレイクは、本書の内容でもあるロシア政府の暗殺に関する調査報告で、2018年のピューリッツァー賞の最終選考にノミネートされた人物だ。
本書を読めばわかるが、ロシア政府に敵対する人間は、弁護士だろうが、フィクサーであろうが、誰でも殺された。
そんな中で、これほど綿密な調査内容を書き下ろしていることには、頭が下がる。
ハイディ氏の語り口は、臨場感たっぷりで、読み進めていると、時に現実の物語であると気づいた時には背筋を凍らされる。
まさにページをめくる手が止まらない一冊だ。