『移民が導く日本の未来』
コロナショックで露呈したのは、日本の人材不足による、レジリエンス(復元力、危機対応能力)の低さである。
日本はその特異な地形ゆえ、自然災害が多い国であるため、危機に対する認識・準備が最も備わっていて然るべき国のはずであるが、実際は、検査官や看護師不足でPCR検査の導入はろくに進まず、また国民全員に配ると断言したマスクに至っては数か月立っても十分に供給することすらできなかった。
共働きや定年退職年齢の引き上げにより、日本は高齢者と女性の就労率が世界でもトップクラスとなる中、コロナショックはまさに日本国中が一億総活躍で働き疲弊している最中に起こった災害なのである。
少子高齢化というテーマは、すでに日本にいれば誰しもが素通りできない問題となっているため、関係本は巷に多数存在するが、本書もそんな中の一冊である。
わたしも数多くそのような本を手に取ってきたが、本書は、新たに知る事実が満載で付箋だらけとなってしまった。
例えば、以下のような内容だ。
・2014年の「まち・ひと・しごと創生法(地方創生法)」の制定にあたり、国が各地方自治体に求めた人口増加に向けた施策では、到底実現不可能な絵空事でいっぱいとなっている。
・政府が外国人の魅力的な受け入れ政策を用意しようがしまいが、日本に在留する外国人は増え続けており、このままでは違法外国人ばかりとなってしまう。
・日本にいる外国人への日本語教育は、約8割強がボランティアか非常勤教師で賄われている。
上記のどれか一つでも興味を持ったのであれば、本書は手に取っておくべきである。
一見、政府が何もしなくても日本に在留する外国人が増え続けてしまうのは、人口減少という観点からすれば、良いことのようにも思える。
しかし、これまで30年程度本格的な政策の見直しがされてこなかった外国人受け入れ政策は、悪用され大きな負の遺産を作ってしまった。
それは、人手不足が深刻化するブルーカラーの産業で、留学生を労働力として利用すること、そして国際貢献を建前とする技能実習生に依存してきた体質が原因である。
まず、コンビニで見かける外国人の多くが、留学生たちだ。
大学、専門学校、日本語学校など様々な学校に在学する留学生は、週28時間という決められた制約の中で働くことが認められている。
しかし、この制度があることで、教育よりも働くことを目的とした入国が増加し、複数のアルバイトを掛け持ちすることで28時間を超えて働く違法留学生が多くなってしまった。
また、技能実習制度では、外国人労働者を低賃金で雇い、使い捨てにする企業を多く産んだ。
そもそも技能実習制度とは、途上国の人々が来日して日本の進んだ産業に従事することで、学んだ知識を母国の発展に役立てることが目的の国際協力の仕組みである。
そして、この技能実習制度については、人手不足の解消を目的としてはならないとはっきりと法律でも明示されている。
だが実際は、特に日本のモノづくりを支えてきた地方の企業を中心に、人手不足への苦肉の策として、労働力を確保するための手段として利用されているケースが圧倒的に多い。
また、本書によれば、この制度はもともと善人であった経営者を悪人に変えてしまうという。
技能実習制度の目に見えない大きな問題は、正当な給料を払ってきた真っ当な企業が、最低賃金しか払わなくて済む技能実習制度にどっぷりつかってしまい、低賃金に依存する途上国型の企業へと劣化していくことである。技能実習生を雇い続けるといつしか低賃金に依存する体質となり、もはや日本人に通常の給料を払うのができない経営状況に陥ってしまうのだ。
人手不足が深刻化すれば、今以上に労働力を求めた企業による外国人の受け入れが増加するだろう。
そのためにも、早急な受け入れ政策の実現が必要なのである。
コロナショックの発生する1年前、政府はすでに実質的な移民受入れにつながる可能性を持つ方向転換として、出入国管理法の改正を行った。
これにより、これまで技能実習生が行ってきた現場労働の分野で初めて「就労」を目的として新しい在留資格が創設されることになった。
しかし、この改正についても、筆者からすれば、学歴の要件を求めていないなど、課題が多いものとなっている。
人口減少が甚だしいといっても誰でも受け入れて良いわけではなく、どのような人材に定住を認めるかは極めて重要なのだ。
本書によれば、技能実習生への過酷な労働は、すでに世界でもKAROSHI(過労死)という言葉が広まる等、高度人材の人々の中にはすでに日本で働くことを嫌がる人材も存在するという。
また、少子高齢化は日本だけが抱える問題ではなく、他の先進国でも同じ悩みを抱える国は多くなっており、優秀な外国人労働者をいかに確保するかが大きな課題となっている。
本書を読んで感じたのは、日本が世界から選ばれる日が来るのはまだまだ遠いということだ。
しかし、コロナショックが終われば、日本は人口減少という大きな課題を抱えて再出発しなければならないことは自明である。
是非とも、本書を読んでそうした課題に多くの人たちが向き合ってほしいと思う。
『上海フリータクシー』
本書は、今の中国の現状を知るには、もってこいの本だ。
インターネットが登場し、微博という中国版ツイッターでは政権批判なる意見が飛び交うところを見ると、ひと昔前に比べれば中国社会は一見よくなっているように思える。
しかし、多くの中国人はまだ自らの本音を語ることには慎重で、今食べているものが安全かどうかすら確信がもてず、呼吸をする度に自分の肺が痛むことに懸念を抱いている。
そんな、今や世界第2位の経済大国となった中国が抱えている闇とは何であるかを、本書は明らかにする。
著者であるフランクは、上海でナショナル・パブリック・ラジオの特派員として働く傍ら、ある副業を始めた。
その名も、おしゃべりと交換でタダ乗りできるタクシーだ。
本書は、そんなタクシーという密室空間で語られた、中国人の本音を丹念に書き留めたものだ。
そこには、「チャイニーズ・ドリーム」と現実とのギャップに苦しむ、「人間臭い」中国人の姿が浮き彫りとなっている。
人びとは「より高くさらに高い要求を、とくに政府に対してぶつけます。今の中国で一番変化が必要なのは政府だと思います。彼らのマネジメント能力と官僚たちのスーチーが大いに高まらないといけません」
このように語るのは、貧しい田舎出身であるが、アメリカへ留学後、上海で弁護士となったレイという女性である。
スーチーというのは、日本語でいう「素質」に意味が近い。ある人の内面の質、性格、素養を意味する。
レイのような知識人が求めるのは、中国にいる14億人もの人々の創造性を解放するように、政府が自ら働きかけるようになることだ。
しかし、習近平率いる中国政府は、世界を舞台にした中国の過去の栄華を再興するために、何億という国民に働いてもらう事しか考えていない。
1970年代に鄧小平は「金持ちになることは栄光である」と、これまでの共産主義のイデオロギーを覆すようなことを言ったとされる。
それから、中国は物凄い勢いで資本主義に傾倒し、それが却って、現在の人口の20%が富の80%を所有するという格差社会を作ってしまった。
同時に、何千万という男性が仕事を求める中、沿岸の諸都市では売春への膨大な需要が生まれた。
教育を満足に受けたことがない貧困層の女性たちは、売春により大金を稼ぐことで、その後実業家となる夢を果たしたという。
本書に登場するウィニーも、そんな野望を持つ女性の一人であった。
しかし、ウィニーは売春から足を洗い自身の夢に向かって歩き始めたところで、“よくない”男性たちとの間でトラブルを起こし、ついには失踪してしまった。
本書に登場するウィニーの物語は悲惨としか言いようがない。
口にしてしまったことはあとで否定できなくなりますからね。私の声だってことは明らかだから。わたしに不利なかたちで利用されるかもしれないし、恐ろしいというのは何が起きるかわからないことの恐怖なの。
何か起きるかわからぬ恐怖、それを本書ではひしひしと感じる。
事実として、裕福な中国人たちは、政府から自らの資産を守ることを第一に考え、家族のパスポートを取得することに躍起になっているし、中国のどこにでもいるような人たちでも、自身の身に何が起こっても大丈夫なよう出口戦略を常に立てている。
本書に出てくる驚愕のエピソードを知れば、彼らがなぜそのような行動を取るのかも少しは理解ができるだろう。
そして、本書を読めば、周りの中国人や世界の見方を確実に変えるはすだ。
本書はそんなノンフィクションの醍醐味を存分に味合わせてくれる一冊である。
『自分の薬をつくる』
本書は2019年に行われたあるワークショップをもとに書かれた本である。
このワークショップでは、誰にも言えない悩みを持った人々が集まり、診断室と見立てたセットの中で、一人ずつその悩みを打ち明けていく。
セットと言っても簡易的な衝立が立てられているだけなので、自分の打ち明けた悩みは他の参加者全員にも聞こえている。
そんな「患者たち」の聞き手を務めるのは、本書の著者の坂口恭平さんである。
この坂口恭平さんという人は、何とも形容し難い人物である。
ルポルタージュ、小説、画集、さらには音楽まで、幅広い分野で活動しており、また、自らの携帯電話番号を公開し、悩める人々がいつでも相談できる窓口として「いのっちの電話」を開設するなど、
多岐にわたり活躍している。
本書は、そんな「いのっちの電話」で得られた知見をもとにして、ワークショップで寄せられる様々な悩みに対し、具体的な解決策をアプローチしていく。
ワークショップの相談には、「人生に絶望している」「やりたいことがありません」「やめられないことがあります」「好奇心がありません」と言った誰もが抱えそうな悩みが数多く寄せられる。
中には何を話して良いのかわからないという強者までもいる。
一見、これらの悩みは全く別々のようなものに感じられるが、「いのっちの電話」を通してこれまで約2万人もの人々の声を聞いてきた坂口さんは、多くの人の悩みというのは、
原因を辿れば実は同じであると述べている。
すべての人が同じ悩みなら、もうそれは悩みではなく、人間たるものみんなそんな状態にあるということですので、自然そのものの姿です。むしろ健康の証です。
多くのひとは悩みを人に打ち明けることもしないし、逆に他の人の悩みを聞くこともない。
普段悩みがあれば、何でも親しい友人に話しているという人でも、実は自分が一番気になっていることは話さないものなのだ。
だが、坂口さんはそういった悩みを数多く聞いてきたからこそ、みんなの悩みの共通部分に気づくことができた。
では、いったいなぜ、生き方も現在置かれている環境も全く違う人々であるにもかかわらず、共通した悩みを抱えてしまうのだろうか。
多くの悩んで悶々としている人々が決まって口にする言葉があるという。
それは「好奇心がない」「関心がない」「興味がない」と言った言葉だ。
よく死にたいと口にする人はこの3つの状態に陥っていることが多い。
そういう人でなくとも、これは誰でも疲れている時などにそのような気持ちになることがあるはずだ。
坂口さんは、このありがちな感情に新しい視点を加えている。
「好奇心がない」「関心がない」「興味がない」という状態について、私にはもう一つ別の経験があります。それが「つくる」ときなんです。
つくる直前はそうではありません。真逆であることの方が多いんです。とても敏感になっているので、ちょっとしたことで考えが揺れ動きます。前向きというよりも、後ろ向きであることの方が多いです。そして、何よりも「好奇心がない」「関心がない」「興味がない」という状態になっているんです。
何かを創作するとき、好奇心はむしろ掻き立てられた状態になっているのでは?と誰しもが思っている。
しかし、坂口さんは「好奇心がない」「関心がない」「興味がない」というのは、実は何か生み出される前に必ず起こる、大事な「停滞」のようなものであるという。
多くの人はそのことに気づかず、こうした感覚に触れてしまうがために、落ち込んだり自分はダメだと思ってしまうのである。
だが、多くのアーティストは、自分というものを押し殺して、できるだけ自分を出さないようにすることで、何かを生み出している。
「好奇心がない」「関心がない」「興味がない」といった感情は、実は体が何かアウトプットを望んでいるサインなのだ。
そして、多くの人が共通してできていない、欠けていることが、アウトプットをするということである。
アウトプットをしなければならないことは多くの人にとっては自明だろう。
だが、坂口さんはもっと危機感を持つようにと促している。
インプットばかりで生活をしていると、体が危険を感じて、ちゃんとサインを送るということです。しかも、それは体からすれば死活問題ですので、かなり正確な、そして激しい警告を送っているはずです。
さきほどの「好奇心がない」「関心がない」「興味がない」といった感情に陥ってしまうのも、私たちが普段インプットばかりの生活をしているが故である。
なぜ私たちはアウトプットが苦手なのかというと、単にアウトプットの仕方を教わってこなかったことが原因である。
本書では、アウトプットをするということを、自分だけの日課を作ると言い換えて、様々なアイデアを提案している。
毎日何かを続けることを苦手だと思っている人は多いだろう。
しかし、本書を読めば、アウトプットする前の無気力感を力に変え、何かを続けることの大切さを思い知るはずだ。
『ワークマンは商品を買えずに売り方を変えただけでなぜ2倍売れたのか』アパレル市場に残る大革命の全貌とは
新型コロナウイルスの流行による、飲食・観光業への打撃は大きく報道され、休業要請が行われたり、Go Toキャンペーンが推進されている。
すっかりその陰に隠れてしまっているが、ユニクロをはじめとする小売業にもその影響が降りかかっているのは言うまでもない。
しかし、ニトリなどはこのコロナ禍にあっても増収増益を果たしているという。
ユニクロも一度は売上減になったものの、「ユニクロとはじめるおうちスタイル」と銘打った新たな戦略が、再びお客の心を掴み始めている。
そんな中で、北関東のある作業服専門店が同じように増収増益を果たしていることは驚きであろう。
その企業とはワークマンである。
19年10月、消費税率が8%から10%に引き下げられた。ワークマンは真っ先に「価格据え置き」を宣言し、実質値下げに動いた。既存店売上高は20年3月まで17カ月連続で前年比2桁成長を継続。20年3月期のチェーン全店売上高は1220億円と、創業以来、初めて1000億円の大台に乗った。
売り上げだけではない。
ワークマンの国内店舗数は2020年5月末で869まで拡大し、あのユニクロを抜き去る勢いである。
まさに、大躍進を遂げているワークマンであるが、なぜこれほどまでに急成長を遂げることができたのだろうか。
本書は、そんなワークマン大躍進の影の仕掛け人である土屋哲雄専務が明かした、アパレル史上に残る大革命の全貌である。
ワークマンがこれほどまでに急成長を遂げられたのには訳がある。
それはライバル企業が多いこのアパレル業界で、ワークマンは競合不在のブルーオーシャンとも呼べる市場で戦うことができたからだ。
ワークマンが見つけた市場とは、低価格かつ高機能を両立させたブランド市場である。
ワークマンは1980年から一貫して、「職人の店」をコンセプトに職人用の作業服のみを扱ってきた。
耐久性や防水、はっ水などの機能性にかけては、ユニクロやニトリといったライバルから大きく差別化ができる。
ワークマンがこうした自身の潜在能力の大きさに気づいたのは、2018年に新業態「ワークマンプラス」を世に送り出した時だろう。
ワークマンプラスとは、これまでの「職人の店」というイメージから脱皮し、新たに一般向けのアウトドアショップとしての一歩を踏み出すための施策として生まれた。
ただ、このワークマンプラスの実態は、既存の店舗で扱っている商品の中から一般受けしそうな商品をセレクトし、店内の商品の配置や見せ方を工夫しただけに過ぎないものだった。
しかし、この商品を変えずに売り方を変えただけとも呼べるやり方で、ワークマンプラスの売上高は既存の店舗の平均の2倍を達成した。
このワークマンプラスの成功が、急成長の起爆剤となったのである。
短期間で急成長を遂げるには、それだけの効率経営が求められる。
徹底した在庫管理、適切な発注、正確な売り上げ予測といったことができていなければ、これほどまでの急成長に社内が耐えられるはずがない。
本書には、この大躍進の裏には、ワークマンが「データ経営」への変身を遂げられたことも大きな要因だとある。
そんなワークマンがデータ分析に使っているソフトは、どんな会社でもごく普通に使われているマイクロソフトのExcelだ。
データ経営と言いながら、Excelというのは何とも拍子抜けしてしまうが、これにもちゃんと訳がある。
ワークマンのデータ活用の原則は『広く浅く』。知識が浅い分を衆知という広さで補う。皆で考えて進化させていく。AIのようなスーパーパワーではなく、普通の人の知恵を集めて経営していくのが理想。それなら、むしろエクセルのほうがいい
まずは社員のデータリテラシーの向上が先決で、その後、十分な人材が揃ったら何億もかけてAIを導入する意味が出てくると土屋氏は語っている。
さらには、社員に勉強してもらう代わりに5年で年収を100万円ベースアップすると約束し、見事にそれを実現させた。
まさにアメとムチの手法が功を成し、見事にデータ経営企業への変身を遂げたという訳だ。
両利きの経営という言葉がある。
企業が長期的な生き残りを賭けて、既存事業を深掘りする能力と新規事業を探索する能力を同時に追求することのできる組織能力の獲得を目指す経営を意味している。
ここでいう組織能力とは新しい「仕事のやり方」を指している。
つまりは、自分たちの強みを棚卸しした上で、「深掘り」と「探索」という相矛盾する能力を同時に追求することのできる新しい「仕事のやり方」を習得することで、はじめて企業は変化に対応することができるのだ。
ワークマンは、まさしく、低価格かつ高機能性という自らの強みを利用し、データ経営という新しい仕事のやり方を習得することで、変化に対応した企業と呼べるだろう。
新型コロナは現在も大きな猛威を奮っている
だが、いずれは終息するとして、たとえこれまでの日常を取り戻したとしても、私たちには新しい生活様式が求められるだろう。
そんな中、私たちがワークマンから学べることは多い。
ワークマンはなぜ強いのか。本書にはその答えが惜し気もなく書かれている。
『新型コロナウイルスを制圧する』新型コロナに関する待望の一冊
現在、新型コロナウイルスは第2波とも呼べる猛威を奮っている。
そんな中、待望とも呼べる一冊が発行された。
それが本書『新型コロナウイルスを制圧する』である。
本書は、そんな新型コロナに対する著者の疑問を東京大学医科学研究所の河岡義裕教授へぶつけるかたちで書かれたものだ。
数十分毎に更新されるネットのニュースやテレビの情報は、不確かなものも多くいつまで経っても私たちの不安を拭ってくれはしないだろう。
私たちに今最も必要なのは長年培われた冷静な知見による確かな情報ではないだろうか。
本書にはそれが書かれている。
河岡教授はまさに新型コロナウイルスの研究を最前線で行っている。
インフルエンザワクチンを人工的に作る技術を世界で初めて開発、エボラウイルスの人工合成をしたワクチンの臨床研究等、ウイルス学の世界的な権威として知られている。
そして、聞き手を務めるのは、『選べなかった生命 出生前診断の誤診で生まれた子』で数々の賞を受賞した河合香織さんだ。
「ワクチンはいつ実用化されるか?」「これからも流行を繰り返すのか」「新型コロナウイルスとインフルエンザウイルスはどう違う?」など、読者の聞きたいことを余すことなく質問してくれている。
本書の素晴らしさは説明がとても分かりやすいという点だ。
新型コロナウイルスは一時中国で人工的に作られたものが流出したという噂も流れた。
これに対し、河岡教授はその可能性は低いと否定する。
そもそも、ウイルスの病原性を高めるのはとても難しい作業です。なぜなら、今存在しているウイルスは、その環境に最も適したものが選ばれているからです。そのウイルスを、たとえば人に感染するようなウイルスに改変するのは、ほぼ不可能です。
河岡教授は、ウイルスを人工合成する「リバース・ジェネティクス」という技術でインフルエンザウイルスを人工的に作成することに成功した。
この「リバース・ジェネティクス」という技術を使えば、ウイルスを強化したり、1から作ってしまうこともできてしまえそうだ。
しかし、先ほど引用した河岡教授の言葉にもある通り、ウイルスというのは、すでにそれ自体がとても良い「バランス」で完成されている。
そのバランスを崩して、弱毒化するのは簡単であるが、つまり弱毒化した上で人体に打つことでワクチンとして利用することも可能であるが、もっとより良いものに設計するのは困難であるという。
ここで言う「良い」というのは、よく増えるという意味だ。
ウイルスとは自然が生み出した奇跡なのである。
この説明は非常に分かり易かった。
そんな本書の前段で多くのページを割いているのが新型コロナのワクチンがいつできるのかである。
ワクチンの実用化に向けては、河岡教授は慎重な姿勢だ。
WHOはワクチンの開発までに12ヶ月から18ヶ月を想定していると言っています。すべてがうまくいくと、可能かもしれません。しかし、拙速な実用化は弊害も大きく、望ましくないと考えています。
本書では、ワクチンの種類や作用するメカニズムについても詳細な説明がされている。
ワクチンの種類には、生ワクチン、不活性化ワクチン、サブユニットワクチン、遺伝子ワクチンといった4つもの種類があることを本書を読んで初めて知った。
その中でも近年注目されている、遺伝子ワクチンー病原体を複製するメッセンジャーRNAやDNAの断片を直接体内に注入するワクチンーは、これまでのワクチンよりも格段に開発スピードが早く、アメリカでは新型コロナワクチンの設計からわずか42日で臨床試験に入り、すでに人にも投与されているそうだ。
河岡教授は、この遺伝子ワクチンに加え、従来型の生ワクチン、不活性化ワクチン、サブユニットワクチンの3つのワクチンの研究も進めており、1日でも早いワクチンの実用化に向けて尽力している。
私は普段からテレビは全く見ない。
ネットのニュースくらいは読んでいるのだが、毎日スマホにポップアップ通知されるコロナ関係のニュースに内心うんざりしていた。
また、ネットの情報はどうしても細切れとなってしまうため、まとまった情報が得られるものが欲しかった。
そんな中、本書はまさに私の知りたかったことが満載で、水を得た魚のように5、6時間で一気に読み切ってしまった。
私と似たような境遇の方も多いことだろう。そんな方には真っ先に手に取って欲しい本である。
『スマートマシンはこうして思考する』全てのビジネスマン必読のAI本
これまで一体いくつAI(人工知能)あるいは機械学習に関する本を手にしてきただろう。
それにもかかわらず、AIとは?機械学習とは?と聞かれても、十分な説明もできずにいた。
これは、多くの人にとっても同様ではないだろうか。
人間の思考とAIの思考はどう違うのか。
AI研究はどのように進歩し、どんなブレイクスルーがあったのか。
本書は、そうした疑問に対して、まるでAIの構築の工程をあたかも擬似体験するように読者を誘導し、複雑なAI技術の理解へ確実に導いてくれる、まさに「こんな本が欲しかった!」と読者を唸らせる良書である。
AI(人工知能)とは、本書の言葉を借りれば、コンピュータに知的な思考を行わせることを目的とした包括的な学問分野のことである。
コンピュータの思考方法は人間とは大きく異なっており、AIとは、コンピュータにどうすれば知的な思考をさせられるか、その方法を突き詰めていく学問とも言える。
それは、自動運転車でいえば、自動運転車を道路から外れさせずいかに街中を巧みに走らせるかを突き詰めることであるし、
映画をレコメンドするシステムを構築したければ、カスタマーの趣味嗜好を組み取り、いかにおすすめの映画というかたちで結果に反映させるかを突き詰めることをあらわす。
本書では、上記以外にも、音声認識から、ワトソン、アルファ碁、スタークラフト、ボットまであらゆる人工知能が登場する。
どれも難しい数学的な話はできるだけ触れずに大事な概念を丁寧に説明してくれている。
と言っても、本書の内容はお世辞にも簡単とは言えないのだが、裏を返せば幅広い読者を満足させるだけの本物の知識が書かれている。
さて、本書でまず最初に紹介されるAI(人工知能)は自動運転車である。
自動運転車の説明は2章に分かれている。
手始めとして、2004年にモハーベ砂漠で開催された100万ドルをかけた自動運転車によるレースが紹介される。
後続の章では、実際に人間のドライバーも想定した都市環境の中で自動運転車を走らせる取り組みを取上げている。
皆さんは機械学習やニューラルネットワークといった言葉はご存知であろうが、上記の時点では、まだそうした手法は生まれてはいなかったか、あるいは未熟であった。
本章では、機械学習等が生まれる前、どのようにして自動運転車に世界を認識させ、思考させていたかについて書かれている。
詳細は本書に譲るが、自動運転車の設計はハードウェア層、認識層、計画層(思考層)という3つの層に編成することで大きな成功を収めた。
これにより高次元の思考を司る計画層は低レベルのセンサーによるデータに惑わされることなく、かつ、自らの状態(物理学の法則に反した方向転換や加速。車は車輪が向いている方向しか進めない)を無視した無茶な計画を行うことはしない。
本章には、他にも「有限状態マシン」という重要な概念が説明されている。
続いて、次のトピックも大変興味深い。
2006年にNetflixがおこなったあるコンテストを取り上げ、映画のレコメンデーションシステムの解説を試みている。
著者によれば、本章はAIに関する内容を解説するに至っては特筆すべき内容ではないと言っているが、ここで取り上げる分類器に関する内容については、後続の章を理解するためには非常に重要なものとなっている。
個人の趣味嗜好は実に多彩である。
だが、本章で説明されている行列因子分解という手法を使うことで、映画とユーザーをそれぞれいくつかの数字で単純化することができ、分類器による振るいにかけることが可能となる。
この手法は、何かを人に勧めるにあたっては「最善な」手法として威力を発揮している。
そして、その後に機械学習やニューラルネットワークについての解説に入っていくわけであるが、先述の内容を読んできた読者であれば十分に理解できる内容となっている。
コンピュータが世界を認識し複雑な思考をしていく様は、けっして魔法でも神秘でもなくて、ずっとおもしろくて凄いものなのだと実感してもらえるはずだ。
ここまでざっと本書の内容を説明してきたが、1つ言えるのは、本書を読めばAIについての理解やイメージが大きく変わるということだ。
本書は、これまでブラックボックスと呼ばれていたAIの思考過程を広く一般の読者が理解できるよう解説したものである。
著者が言うように、本書を読むのに必要なものは「好奇心と、少しの集中力」だけだ。
是非この夏休み期間に多くの方に時間をかけて熟読していただきたい一冊である。
『カラスは飼えるか』カラスを飼うこと食べることについて本気で考えてみた。
鳥類本にハズレなし。
なぜかわからないが鳥類本には面白いものが多い。
鳥類は絶滅した恐竜の血を引いている生き物という点で非常に興味深いし、実に多様な生態やその特質は人類を長年の間魅了してきた生き物であると言えよう。
本書もタイトルを見て即手にとった本だった。
本書は私たちにとても身近で、かと言って愛されているわけでもないあの生き物についての飼い方が書かれた本なのだから面白くないはずがない。
だが、現実はそう甘くはなかった。
本書はカラスの飼い方が書かれた本ではない。
本書の冒頭はそうした断りから始まる。
本書のタイトルは『カラスは飼えるか』であるが、別にカラスの飼い方を述べた本ではない。これは最初に、前書きでお断りしておく。もしカラスの飼い方を知りたかったのであれば、ここで本を閉じて本棚に戻していただいて構わない。というか、そうすべきである。
では、なぜそのようなタイトルにしているのか。
これもすぐにネタばらしがされている。
理由は、本書の元となったウェブ上の連載「カラスの悪だくみ」で「カラスは飼えるか」という回がダントツで人気だったから、タイトルに採用したらしい。
カラスを飼うことを知りたいと本書を手にとった大半の読者は、こうして冒頭から読む意味を失ってしまったというわけだが、そもそもなぜ我々はそんなにカラスを飼うことが知りたいのか。
おそらく、カラスはみんなが知っているにも関わらず、飼っていいのか、どうやって飼うのか、飼っている人はいるのかについてほとんど知られていないからだろう。
本書には、そんな我々がよく知っている生き物たちのよく知らない話がユーモアたっぷりに書かれている。
著者はおそらく生真面目な性格なのだろう。
そんな著者の性格のせいか、笑いを強引に取りにいかないがきちんと読者を笑わせ楽しませるという、著者の文章の巧みさがより一層本書の面白さに花を添えている。
本書の内容は鳥類を主とする生き物についてだが、その話題は多岐にわたる。ただ、サルでもドードーでもニワトリでも、語っているうちになんとなくカラスの話にすり替わる傾向がある。
本書の前書きの言葉であるが、これが本当にそうであるから始末におえない。
本書のどの章においても、猿だろうが豚だろうがどんな生き物の話をしていても結局はカラスの話に変わって終わる。
文脈に不自然なところもなくすり替わっているものだから、私も何項か読んだ後にようやく気づいた。
「・・・あれなんか毎回カラスの話してない?(笑)」
紹介が遅れたが、著者はカラスの行動と進化を研究テーマとする歴とした研究者だ。
自身の研究テーマだから自然と語りたくなる心情でもあるのかもしれないが、著者のカラス愛には頭が上がらないものだ。
本書は何もふざけているばかりではないので安心してほしい。
本書にはきちんとした知的好奇心をそそる話も盛り沢山である。
例えば、「宗教的禁忌」と題した章では、イスラム教の豚肉を食べない習慣について述べている。
豚の生理機能は人間とよく似ており、豚の病原体や寄生虫は人間の体内で生きられるものが多い。
また、豚は人間と同じくらい、いやそれ以上に雑食性で何でも食べるため、人間とは餌が競合する。
世の中には豚トイレというものがあって、トイレの下で豚を飼って、人間の汚物を豚に食わせて見事な物質の循環を実現しているなんてところもあるらしいが、気味が悪い話である。
このように豚は貴重な食料や水をシェアしなければならない上、病気をうつされる原因にもなりうる面倒な代物ゆえ、社会によっては豚肉を禁忌としたのでは?といった理屈だ。
なんともなるほどな話である。
そして、本章においても後半に行くほどしっかりとカラスの話にすり替わっていく(例外はない)。
食べる話なのでカラスを食べる話なのでは?
そう思った方もいるかもしれないが、正解はぜひ本書を読んでみてほしい。
さてこの書評もそろそろ幕引きとしたところではあるが、締めの言葉が浮かばない。
ちなみに、カラスの飼い方など書いていないと冒頭で述べたが、実はきちんと書かれている。
と言っても、そもそも法律で禁止されているだとか、周りのモノをつついては破壊するだとか、与えられた餌を隠しては腐らせるだとか、とにかく著者は飼うことには反対のスタンスらしい。
それでも実際に飼っている人はいるようで、カラスを飼うのにマンションの一部屋をわざわざ借りたなんて話もあるらしい。
では、著者はどうであるかというと、飼いたくないし食べたくもないようだ。
かれこれ40年以上もカラスを追い続けてきた著者が言うのだからそうすることが得策なのだろう。