『がん免疫療法の突破口(ブレイクスルー)』病の皇帝が王座を追われる日
本書は、がん治療に革命をもたらしたある治療法について書かれた本である。
これまでがんの治療法には主に3つの手段があるとされてきた。
その3つとは、外科手術、放射線治療、毒物による化学療法である。
この「切る」「焼く」「毒を盛る」の3つの手段によって、我々人類はがん患者の約半数を治すことができるまでになった。
これは、医学における立派な偉業と呼んでもいいだろう。
しかし、その反面、残念ながら約半数のがん患者を救うことができていないのも事実である。
本書では、先述の「切る」「焼く」「毒を盛る」の手段ではない4つ目の治療法として、近年注目を集めているがん免疫療法について書かれた本である。
がん免疫療法とは、これまでの治療法とは異なり、がん細胞を直接攻撃することを目的としないまったく新しい治療法である。
免疫とは、我々人類を含んだあらゆる生物が生来備えている個体の防衛システムのことだ。
誰もが一度は、(おそらく学校などの場で)マクロファージと呼ばれる細胞が他の細胞を食べている光景を見たことがあるだろう。
マクロファージは侵入者を認識する能力がもとから備わっており、あらゆ侵入者を認識し排除することができる代表的な免疫細胞だ。
免疫細胞には、このマクロファージ以外にもサイトカインなど多くの免疫細胞が存在しており、こうした我々生物が生来備えている免疫反応は「自然」免疫系と呼ばれている。
一方で、進化系統樹の上でより進化した生物たち、つまり私たち人類のような生物は「獲得」免疫系と呼ばれる追加の免疫軍団を備えている。
「獲得」免疫系を担うのは、B細胞やT細胞と呼ばれる細胞で、こうした細胞のおかげで我々は今まで一度も出会ったことのない侵入者であっても認識し、攻撃して、記憶することができる。
がん免疫療法においてとても重要な役割を果たしているのは、この「獲得」免疫系と呼ばれる免疫反応である。
では、ここでそもそもの疑問に答えておこう。
こうした優れた免疫系はなぜ、肝心のがん細胞を攻撃しないのかという疑問だ。
本書の言葉を借りれば、免疫系はがん細胞を「攻撃する」、正確には「攻撃しようとしている」ということになる。
しかし、がんは免疫系から姿を隠すあるトリックを駆使することで、免疫系の攻撃を華麗にかわしている。
がん免疫療法のアプローチは、このトリックを無効にし、その正体をあばくことで、免疫系の本来の力を発揮させるというものだ。
つまり、これはがんを直接攻撃しようとするものではなく、これまでの手段とはまったく異なるアプローチによる治療ということになる。
がん患者というと、抗がん剤の投与によって髪の毛が抜け落ちてしまった姿を思い浮かべる人も多いだろう。
それは、抗がん剤が自己を猛烈なスピードで複製するがん細胞とよく似た髪の毛を形成する細胞を誤って攻撃してしまうからだ。
がん免疫療法では、そのような副作用がなくなり、体力のない人間でも治療することができるようになるだろう。
本書の素晴しいところは、がん免疫療法といった科学知識を知ることができるだけではなくて、がん免疫学の発展史を、我々一般の読者に感動の物語
として伝えることができる著者の筆だ。
本書は、腎臓癌を患いステージ4(ステージは1〜4までしかない)と診断されたある男の物語から始まる。
助かる見込みは0に等しく死を待つしかなかった男が、がん免疫療法の治療薬の治験者として治療を受け、がんを完治することができた。
新薬の開発とは、通常、市場に出回るまでに多くの段階を踏む必要がある。
人への治験は、最後の段階で、治験者に選ばれる人物はもちろん誰でもいいというわけではない。
ましてや死に損ないの人物を選ぶことなどまずありえない(全てが台無しになる可能性だってある)。
しかし、彼は治験者として選ばれ救われた。
本書は、こうした重大な決断を下した医師の葛藤や、その治療にかける想いが鮮明に描かれており、単なる科学読み物以上のものとなっている。
免疫の仕組みは、とても複雑で今なお多くの新しい事象が発見され続けている。
このがん免疫療法もがん治療におけるブレイクスルーと謳われているが、全体として開発が順調というわけでもないという。
だが、免疫療法が「がんに効果がある」と示した功績は、はかりしれない。
本書を読めば、「病の皇帝」が王座を追われる日がいつか来ると、確信させてくれる。