『ドライバーレスの衝撃』スマートフォン以上の変革が私たちの生活を激変させる。

2016年10月、ウーバーの傘下企業オットーが開発した自動運転トラックが、コロラド州の高速道路を120マイル(約193キロ)走行し、ビール200ケースを運んだというニュースが流れた。その間、人間のドライバーは寝台で休んでいたという。

また、テスラは、まさに飛行機の自動操縦のような、自動車版のオートパイロット機能を開発した。この機能を自分の車にダウンロードすれば、運転者はウインカーを出すといった簡単な操作だけで、あとは車が自動で運転してくれる。

 

このように、自動運転の技術は、すでに実用化する寸前のところまできている。

本書は、こうした自動運転にまつわる最新の動向に対して、元ニューヨーク市運輸局局長の著者が、従来の議論では抜け落ちていた、社会への影響を包括的に分析したものである。

 

これまでの自動運転にまつわる議論といえば、私たちの暮らしがずっと快適になるといったユートピア的なものと、雇用の喪失や倫理面での課題を取り上げたディストピア的なものに2分されることが多かったように思う。

では、自動運転車の実現が間近となった今、私たちはどのようなビジョンを持つ必要があるのだろうか。

本書の著者であるシュウォルツは、これまでの自動車や交通の歴史を辿ることで、両極となっていた議論の中間を探り、私たちが今何をすべきなのかを浮き彫りにした。

本書を読めば、自動運転車の実現による未来がどのようなものか、そして、私たちが今どのような計画を立ててどう行動すべきなのか、その全てがわかるといっても過言ではない。

 

本書の中でも興味深かったのは、自動運転車がスマートフォンに匹敵するくらい、私たちの生活に影響を及ぼすという点だ。

人間が運転をする必要がなくなるということは、私たちの乗車体験を全く新しいものに変える。

つまり、人々は、車の中では、仕事をしたり、寝たり、遊んだりできるような多様な空間を求めるようになる。

そうなれば、自分専用の自動車を持ちたいという人はきっと増えることはずだ。

だが、本書の予測はこれだけにとどまらない。

 

自分専用の自動車を持つというのは非常に魅力的に感じられるようになる。そして今日の携帯電話のように、頻繁にアップグレードされるようになり、人々が自動車を購入するサイクルも短くなるだろう。大部分の人々は、1台の自動車におよそ10年乗り続けるが、携帯電話はわずか2〜3で買い替える。しかし将来的には、人々は携帯電話と同じくらいの頻度で自動車を買い替えるようになる可能性がある。

 

自動運転車を持つのに、きっと運転免許証は必要ないだろう。それに今よりも安くて手に入りやすいとなれば、急激に自動車の個人所有が進む可能性だってある。

しかし、そんなことになれば、道路は常に渋滞となり、自動車は至る所に遺棄され、交通インフラはすぐにでも麻痺してしまう。

本書でも詳しく考察されているが、自動運転車の未来をより良いものにするには、この自動車の個人所有率をいかに下げるかという点が非常に重要となってくる。

そのための、全く新しい交通システムや課金制度を私たちは考えなければならない。

この個人所有率を下げなければならない理由について、詳しくはぜひ本書を読んでほしい。

 

そして、自動運転車というものを考えた時に、やはり一番気になるのはその倫理的な側面だろう。

2018年3月、アメリカのアリゾナ州で、ウーバーの自動運転車が女性(49)を轢いて死亡させた事故があったことを覚えている方も多いはずだ。

自動運転車が事故を起こした場合、その責任の所在がどこにあるのかが問題となる。

責任の所在は、自動運転車を設計したメーカーにあるのか、もしくは、ソフトウェアを開発したエンジニアにあるのかというものだ。

しかし、本書でも指摘されているが、自動運転による交通事故の件数は人間による交通事故の多さに比べたら取るに足らない件数となるだろう。

人間によるエラー(交通事故)の多さについて、テスラ社のイーロン・マスクは、メディアに対し以下のように発言している。

 

もし否定的な記事を書いて、それを読んだ人々が自動運転車を使わないようになったら、あなたがたは人殺しをしているのと変わらないことになるわけですから

 

マスクの主張は少々過激だが、人間よりもずっと安全運転ができる自動運転車を導入すること自体が、そういった倫理問題を解決する一つの妥協点となるのかもしれない。

だが、アメリカや日本といった国がこうした考えを受け入れるには時間を要するだろう。

本書でも指摘されるように、トップダウン式で物事を決められる中国などの国は、いち早く自動運転による社会的基盤を作ることになるかもしれない。

 

道路というのは、人間の運転する車が走ることを前提として、多少のよそ見やミスで車両がふらついても大丈夫なように余裕を持った広さをしている。

自動運転車は、一定のコースを極めて正確に走ることができるため、こうした既存の道路の様子を大きく変える可能性がある。

また、道路だけではなく、都市の在り方、経済、エネルギー、環境、プライバシーに至るまで、私たちの想像以上に自動運転車が社会を一変させることについて、本書は驚くべきほど詳細な提言をしている。これほどまでに広大な領域に関して、実のある提言ができる専門家は著者以外にはいないだろう。

本書に出会えたことは非常に幸運だと思う。だからこそ皆さんにもすぐにでも手にとって欲しい一冊である。

 

ドライバーレスの衝撃—自動運転車が社会を支配する

ドライバーレスの衝撃—自動運転車が社会を支配する